問題児みっちゃんの日記

俺様DV夫の教育とSOS

新婚生活から始まった洗脳❶

このブログはほぼ実話です。ほぼ、というのは住んでいる場所と名前を変更しているからです。     そして、25年以上も遡る為、現代では考えられないデリカシーの無い表現もあります。不快に思われる方の閲覧はご遠慮ください。俺様DV夫とこれまでどうやって結婚生活を維持して来たのか、反省も学びもあり。どうにかこうにか、なんとかやってきたこの30年弱

私自身の記録です。今現在の話に至る迄には、まだまだ書き進めなければならない為、ゆっくりお付き合いいただけましたら嬉しいです。ご意見ご感想も、お待ちしています

 

新婚生活から始まった洗脳❶

21歳。私のお腹に赤ちゃんがやって来た     妊娠4ヶ月で、入籍。6ヶ月目に入る頃の年度末に寿退社しました。短大卒で学歴もない、社会人としても1年しか経験していない私。そんな私から生まれてくる子は、不幸ではないのか。           私にそんな大役が務まるのか。物すごい不安に押し潰されていました。見兼ねた実父が「いざとなれば私の養子にしてやるから安心して産みなさい」父は、案じていたのかもしれません。

夫は仕事から帰ると、廊下で服や靴下を脱ぎ散らかし、私は後を追う様にそれらを拾って洗濯カゴへ入れ、背広をハンガーにかけるのです。一通り脱ぎ終えて、🩲パンイチになったらタバコに火をつける。ブハァーっと一服ながら「今日のごはん何?」と聞く。春巻きに麻婆豆腐とサラダにニラ玉スープ、なんて言うと夫は大喜びしました。私は料理は得意だったけど、夫があまりにも大袈裟に喜ぶから、好きになっていきました。図書館で料理本を読み漁り、ポイントをメモをして自分好みの味に作る、夫の反応を見てリピートするか否かを考えるんです。夫は大抵「美味しい!あいちゃんの料理はサイコーだよ、お袋の料理より断然好きだ」と褒めちぎる。

 

⭐︎今思えば

お袋の料理より、なんてお母さんには酷な言い方ですよね。言われた私は及ばずに単純に嬉しかったんです

 

結婚当時の私の1日             

5時起床 お弁当と朝食作り

6時半 夫を起こして朝食

7時半 夫の身支度を整えて見送り 

〜9時 家事

〜12時  図書館に行き、夕食の買い物をし帰宅

12時半  自分の昼食

14時      家事

15時〜   夕食の準備

19時      夫帰宅 夕食〜TVをみながら夫晩酌

20時     片付けをして私もTVを見る、お風呂など

23時半  就寝

こんな感じです。私は寝るのが好きだから、5時起きなんてキッチンの電気を付けるまでは頭がクラクラして目も開けられなかったのを思い出します。    私にとっては、何の変わり映えもしない社会と離れた孤島で暮らす日々。外の刺激といえば買い物と図書館、たまに病院、だけ。友人の殆どはまだ学生だったし短大の同期も会社勤め。義理の両親も私の親も現役世代、私の兄弟もまだ学生でした。平日に何処かに行くなんて考えられなかった日々。貯金もないから、完全に夫に養ってもらっているんです。話す相手は夫だけ。私にとって夫の帰りが唯一の楽しみだったんです。

唯一の楽しみも、一寸先は闇

夫はよく怒りました。理由はとにかくわがままで地雷がどこにあるのか分かりませんでした。      理由については、もうよく覚えていないけれど意見に従わないと3時間でも4時間でも怒り続けます。私は黙る様になりました。そんなにコンコンと怒りをぶつけられ続けると思考回路が遮断されるんです。考えられなくなるの。そして黙れば黙ったで意見を求めるんだけど、その意見さえ認められずに、他の意見を出せと言う。私にとったら拷問です。夜中の2時、3時まで続き、寝ずに朝を迎える事もありました。    とにかく許して欲しい、夫の答えを探すんです。

⭐︎今思えば

夫は自分の求める答え意外、認めない、受け入れられないんです。まるで自分の考えを算数の様に捉えていて、同じ答えでなければ<間違い>で正解が出るまで許さないんです。

こうして洗脳が始まりました。          夫の意見=正解

ただね、私の事を愛しているのも確かなんです。夫の性格上、周りからは嫌われて常に居心地の悪い職場。それでも辞めずに私の為、家族の為、だけを考えて働いている。それから、私に何かをしてあげたい、喜ばせたいという気持ちも大きくて、大袈裟に喜ばないと怒ります。せっかくやってやったのに、と言って怒るので、大袈裟に喜びます。私にとって要らない物でもさも今1番欲しかった物と言うように喜びます。こうして、夫は私の為といいつつも<妻にやってやった俺>に浸っているわけです。ここで、意見交換の出来る夫婦であれば、一緒に選びに行ったり、要らないなんて言ったりする事も出来るでしょう。こんな行為でも夫は愛情表現として疑わなかった

この時点で、私の人権はなかったのです。

 

続く→